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現代書

現代書とは

■現代書との出会い
6才から習字を開始。師範資格取得後、4社4業種(タレント事務所/出版社/企画デザイン会社/映像会社)に所属して、書道からデザイナ―行へと幅を広げる。

東京から岐阜に引越し、嫁いだ町を散策中にある筆文字に見惚れる。「この字を書いた人に会いたい」そう探しはじめたのが「現代書」との出会いでした。


■会えない空白の時間
ただ筆文字を書いた本人は、インターネットで検索をかけても見つからず、ただただ30km圏内で飾られている「書」を見かけるたび会いたい想いを募らせる日々。正直、生きていらっしゃる方なのかも分からない状態が1年が過ぎようとした頃、ついに個展開催を発見。


すぐ会いにいき弟子入りを志願。
さっそく私の書を見ていただくと「おもしろくないただの習字書き」と一蹴。ただし「あなたの心には感動する力や情熱あるから、それを表現していったら、おもしろい字が書けるよ」と弟子にしていただく。


■習字と書道のちがい
しかし、そこから5年はただ線や曲線を書く日々。恩師は、書は「心の働きから生み出されるもの」と言い、それを表現すうるための筆さばきは、まったく習字とは違い、30年以上習字を土台にしてきた私は、5年間、線と曲線だけを書く生活へ。

つまり、きれいで読みやすい文字の書き方を学ぶことを「習字」と言いますが、効率的に字を書くための鉛筆が開発され、毛筆習字の必要性が少なくなり、令和の時代ともなると書くは打つ(フォント)に移行。

一方、毛筆で書かれた「筆跡」は、書く目的・理由、または書く人の個性や捉え方を表現した書風のため、ゼロからの下積みがスタートしたのでした。




■2度めの再会
それから5年たった頃、師匠と弟子たちの書作展で私も作品を出展できるようになりました。しかし準備をしている最中、ふと師匠の経歴ボードを読んで驚きました。師匠は、昔、小学校の校長先生をされてたのです。しかもーーーー。

「師匠!私、同じ小学校の卒業生ですよ」「何年に卒業したの?」それ聞かれ遡ったところ、まさか師匠が校長先生を退職された年、私も6年生として卒業しており、つまり恩師とは30年も前から繋がっていたのが発覚。

そのあと、押し入れからは2人並んだ卒業写真までできました。

恩師の言葉

■恩師の最後の個展
コロナ禍、恩師(93歳時)が個展を開催。

お弟子さんやファンの方も多く、20年も前の作品を持って来てくださった方が「この字を飾って、ずっと力をもらってました」なんて涙ながらに語る姿を見て、思わずもらい泣き。

この頃から師匠は「私には時間がない。いつまで長生きできるか分からないから作品をいっぱい書いてもってこなかんよ」と私に言うようになりました。


■師匠との別れ
突然、師匠から話があるから来てほしいと電話がありました。じつはずっと体調が優れなかったこと、元気なうちに施設に申し込むことにしたとのこと。

突然、居なくなったら困るだろうと思って話してくれた間、私は大号泣をしていました。人まで泣いたなんて、いつぶりだっけな。むしろ、最後に泣いたのっていつだったっけな。

「いつなんですか、それは」「空き状況によるから分からない。空けば今月にも行くことになる」「そもそもどこなのよ、私、身内じゃないんだし。入れてもらえないよ。もう一生会えないってことなの?無理だよそんなの」「姪ってことで会いに来ればいい」「コロナ禍なんだから入れない、無理だよ」

たくさん泣いたら、アイラインが滲んで黒い涙が流れだして、ひと笑いあったところで、師匠も泣いていたのに気づく。

指で目元をぬぐって「あなただけだよ、こんなに想ってくれるのは」と言われたので間髪入れずに返しました。

「ちがう!みんな思ってる。その代表で私が泣いてるだけです」

とりあえず、こんな風に最後の日がくるとは思ってもおらず、残りわずかなひと時を想いで深いものにしたいと思うようになっていきました。



■うなぎ屋でお祝い
ところが私が号泣した翌日、いろんな方に引き止められた師匠から、また電話がありました。「あんなに泣かせて悪かったね」「いいです、居てくれてよかった」

ただ、いつが最後になるか分からない練習ができたのだから、師匠としたかったことは早く実行することを決意。まずは、敬老のお祝いでうなぎ屋へご招待した!

そんなこんなで、私の一目置く友人のうなぎ屋へお誘いする。「私の友達は毎日、日本で1番美味しいうなぎを焼くと決めて厨房にたってるんですよ。だから、今日は日本一の鰻でお祝いしますね」。

その日もやっぱり美味しくて、師匠とご満悦の時間を過ごしたあと、友達も挨拶に来てくれた。

私:「この子が、鰻焼いてくれた子です」
友:「今日は来てくれてありがとうございます」
私:「こちらが私の書の師匠だよ」

すると突然、
師匠は私を指先して
思いもよらないことを言い出しました。

師:「この子の才能、見てやって」
友:「?」
私:「え、この子は私を15年応援してくれる友達ですよ」

師:「見てやって」
友:「わかりました。
   向こう30年僕が見ていきます」

師:「誉めるだけじゃなくて
   ダメなところはダメって言って」

友:「はい。言います。」

師:「あんたは日本一の鰻焼く
   この人は日本一の字を書く
   2人切磋琢磨して」

友私:「はい」「はい」

師 :「長く生きると疲れることも多いけど
    若い人の成長を見るのは楽しいわ」

自分が居なくなった後
私を弟子に託すのではなく
鰻屋の友達に託すあたりも
さすが師匠だなと友達と盛り上がった。


■書道を続けて何かいいことありますか?
ときどき、こんな質問をされることがあります。私は・・それは結果論では語れないものがあると思っています。楽しく書くという目的論から進めることで20年30年40年の月日が経っていたからです。

またどんなことも、続けるからこそ、その価値に気づく日があるのだと思います。

私は「 書道 」 「 生け花 」の師匠がいますが、敬い続けることができる人がいる人生になったことで、心豊かな人生になれたと心から感謝しています。

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